放送界から芸能界へ──。NHK元理事の若泉久朗氏は、長年NHKでドラマ制作に携わり、組織の中枢にまで上り詰め、突如として芸能界の大手、ジャニーズ事務所の顧問に就任しました。
この異例の人事は、放送と芸能の境界線を曖昧にし、両業界の密接な関係性を浮き彫りにしました。
NHKという公共放送の重鎮が、なぜジャニーズ事務所を選んだのか。その背景には、若泉氏の豊富な経験と独自の視点が隠されています。
この記事では、若泉久朗氏の経歴を詳細に紹介し、NHKでのドラマ制作から理事就任、そしてジャニーズ顧問への転身まで、時系列に沿って解説していきます。
若泉久朗Wikiプロフ
若泉久朗氏は、日本の放送業界で長年にわたりキャリアを築いてきた人物です。
名前:若泉久朗(わかいずみ ひさあき)
生まれ:1961年
出身:東京都
学歴:東京都立青山高等学校、東京大学法学部卒業
幼少期から映画に親しんで育ちました。
大学在学中、若泉氏は映画研究会に所属し、映画監督を志望していました。しかし、1980年代前半の日本映画業界の厳しい採用状況により、その夢を断念することになります。
若泉さんは明るく前向きな性格の持ち主で、その魅力的な人柄から、民間放送局や芸能プロダクションなど、業界内で広く愛されていました。
NHK退社後、芸能事務所へ転身します。
通常、放送局の社員がこのようなキャリアパスを選択すること、本来の職務に支障をきたす可能性がありますし、仕事への弊害もでてしまうことも懸念されます。
そのため、避難の声が多く上がっていることも事実です。
若泉久朗の経歴NHKからジャニーズ顧問まで
若泉久朗氏の経歴をNHK入局からジャニーズの顧問になるまでを時系列みていきましょう。
東京大学卒業後NHKに入局
若泉氏は、1984年に東京大学法学部から NHK に入局。当時の NHK では東大法学部卒が稀であったことから、入局当初から幹部候補生として注目されていました。
沖縄放送局で4年間勤務した後、ドラマ制作の分野で才能を発揮します。
- 1995年:「百年の男」を演出し、文化庁芸術作品賞など数々の賞を受賞
- NHKでドラマプロデューサーとしてキャリアを積む
- 2001年:連続テレビ小説「ほんまもん」を担当
- 2003年:連続テレビ小説「てるてる家族」を担当
- 2007年:大河ドラマ「風林火山」の制作に携わる
若泉氏の才能は、ジャニーズタレントを起用した作品の制作でも発揮されました。2003年の「かるたクイーン」や2004年の「トキオ 父への伝言」などの制作統括を担当し、芸能界との関係も深めていきました。
キャリアを重ねるにつれ、若泉氏は NHK の上級幹部へと昇進。2020年には理事として、大河ドラマ「どうする家康」の制作全般を統括する立場に就きました。番組全般のキャスティングにも大きな影響力を持つようになり、NHK のドラマ制作における重要な人物として活躍しました。
NHK理事に就任
2020年4月にNHK理事に就任し、2年後の2022年4月にNHK理事を退任しました。
次期会長の前田晃伸氏と若泉氏の反りが合わなかったことによるものと思われています。
前田晃伸氏は元みずほフィナンシャルグループ社長・会長で銀行流の人事を導入したようです。
ジャニーズ事務所顧問に就任
2023年4月にNHK退職すると2023年6月にKADOKAWA執行役員に就任し、同時にジャニーズ事務所(現スタートエンターテイメント)顧問に就任。大手出版社と芸能事務所という異なる分野で新たなキャリアをスタートさせています。
ジャニーズ事務所での若泉氏の役割は「出演時の権利関係などの相談を受ける」というもののようですが、この若泉氏の再就職についてはSNS上で多くの批判が見られています。
まとめ
若泉久朗氏は、東京都立青山高等学校を経て東京大学法学部を卒業後、1984年にNHKに入局しました。初任地の沖縄放送局で4年間勤務した後、ドラマ制作部門で才能を開花させます。
1995年に演出した「百年の男」で文化庁芸術作品賞を受賞し、その後プロデューサーとしても活躍。2001年の連続テレビ小説「ほんまもん」などのヒット作を手がけました。
キャリアを重ね、NHKの上級幹部へと昇進。2020年には理事として大河ドラマ「どうする家康」の制作全般を統括する立場に就きました。番組全般のキャスティングにも影響力を持つようになり、NHKのドラマ制作における重要人物として長年活躍しました。
2023年、NHKを退職後、ジャニーズ事務所(現スタートエンターテイメント)に転身し、新たなキャリアをスタートさせています。
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