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いとうあさこはお嬢様と言われる理由3選!父親の職業や学歴は?現在の年収がすごすぎる!

いとうあさこ お嬢様

テレビで見かけない日はないほど人気の芸人、いとうあさこさん。

その明るいキャラクターと独特の笑いで多くの人を魅了していますが、実は驚くべき家柄だということをご存知でしょうか?

そういわれてみれば、何をしても下品にならない育ちの良さを感じますよね。

今回は、いとうあさこさんの知られざる「お嬢様」としての一面に迫ってみます。

父親の職業、そしていとうあさこさんの学歴、現在の収入まで、いとうあさこの意外な素顔を探っていきましょう。

目次

いとうあさこはお嬢様である言われる理由3選

いとうあさこさんがお嬢様であると言われる理由は3つあります。

  • 父親が元銀行役員
  • 小学校から雙葉学園
  • 母親が名家出身

これを見ただけですごいですが、それぞれを詳しくみていきましょう。

父親は元銀行役員

いとうあさこさんの父親は、伊藤新造さんといい、wikipediaに名前が載るほどの著名人。

東京大学法学部を卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)に入行。

当時の富士銀行は強い自己主張を持つ行員が昇進しやすい傾向にありました。しかし、いとうあさこさんの父親は、そんな環境の中で珍しく温和な性格で知られていたそうです。

いとうあさこさんは父親の人柄についてこんなエピソードを話しています。

厳しく育てられたかという質問に対し、

「そうでもないですよ。小学生のころ、当時、大変な人気だった『8時だョ!全員集合』を何回か見に行ってるんですが、親が進んで申し込みはがきを出していました。何をやっても法に触れなきゃいいという感じでしたね。ただ将来のこととなるといろいろ、言われましたけれど」

日本経済新聞

このようなユーモアのセンスと寛容さは、間違いなくいとうあさこさんに受け継がれていますよね。

【学歴がやばい】小学校から雙葉学園

いとうあさこさんは小学校から高校まで、名門私立の雙葉学園に通っていました。

雙葉学園は

  • 偏差値75の超難関校
  • 東大や京大など最難関大学への高い進学実績
  • 女子校の中でも「御三家」と呼ばれる超エリート校

12年間をこのような環境で過ごしたのですから、育ちの良さがテレビ越しに伝わるのも無理もないですよね!

小学校時代は成績優秀で、科学雑誌「NEWTON」を愛読書としていたというから驚きですよね。

一方で、いとうあさこさんは当時大人気だったアイドルグループ「ピンクレディー」や、近藤真彦(マッチ)の熱心なファンでした。

ちなみに、幼稚園はこちらもエリート御用達である東郷幼稚園に通っていました。

母親もすごい!名家出身

いとうあさこさんの母親、伊藤美恵さんも名家の出身です。母方の祖父、田島恩氏は発明家で、スチール家具で成功を収めた大物実業家でした。

母親自身も「プロ主婦」と呼ばれるほど完璧な家事をこなし、家庭を支えていました。

こんな方ですが、Zoomを200mと読み間違えたりと、チャーミングなエピソードがあり、とても親しみがもてますよね。

いとうあさこの現在の収入がすごい!

いとうあさこの現在の収入に関する正確な情報は公開されていませんが、人気芸人としての活動や、バラエティ番組への出演、CM契約などから、相当な収入があると推測されます。

芸能人の年収ランキングなどでも上位に名前が挙がることがあり、年収は数千万円に達する可能性があります。ただし、これは推測であり、実際の金額は本人のみが知るところです。

いとうあさこが芸人を目指した理由は?

いとうあさこさんが芸人を目指した理由は、いろいろあるようです。

親の敷いたレールを進むのが嫌になった。

小学生からNewtonを愛読書としていたいとうあさこさんは、理系に進みたかったのですが、当時は「女子=文系」という風潮があり、理系進学を猛反対されてしまいます。

これに反発したいとうあさこさんは家出を決意。親の敷いたレールを進むのは嫌だ!と、尾崎豊の音楽に影響を受け、自由への渇望が芽生えたのだそう。

大学浪人をしてい19歳の時、図書館に行くといったっきり、家に戻らず、あらかじめ借りていたアパートに住み始めました。

しかし、3日後には母親に見つかってしまいます。

アパートの前に母親が待っていたようですが、連れ戻すようなことはありませんでした。

幼少期からの芸能界への強い憧れ

いとうあさこさんには幼少期から芸能界への憧れがありました。

中学時代にはアイドルになりたくて、おニャン子クラブに履歴書を送ったようですが、いまだに返事がきていないようですよ。

憧れの芸能人は伊東四朗さんやいかりや長介さん。悲劇と喜劇の両方をこなせる俳優に魅了されて芸能界をめざしたようです。

舞台芸術学院でコンビ結成

そして、舞台芸術学院ミュージカル別科での学びを通じて、演技の世界に足を踏み入れたことが、いとうあさこさんの進路を決定づけました。

同期生、佐藤千亜紀とともに「ネギねこ調査隊」というコンビを結成。

2001年には、単独で『進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的15少女漂流記」に参加。この企画では、仲間から「おかん」と呼ばれ、信頼厚い存在として知られました。

しかし、この企画参加が長期に及んだことでコンビ活動に支障をきたし、2003年5月に「ネギねこ調査隊」は解散し、いとうあさこさんはピン芸人としての道を歩み始めます。

レオタードネタで大ブレイク

当初は本名で活動していましたが、イメージチェンジを図り、『エンタの神様』出演を機にひらがな表記に変更しました。

33歳からピン芸人として活動していたいとうあさこさんですが、現実は厳しく、牛丼屋でアルバイトをしつつ、お笑いライブをこなすという日々を送っていました。あまりの仕事ぶりに、社員への昇格も提案されたようですが、芸人という職業にほれ込んでしまっていたいとうあさこさんは、これを断ります。

これには、同棲している恋人もおり、生活には困っては困っていなかったという事情もありました。

そんな中、ピン芸人のお笑いコンクール「R-1ぐらんぷり」に出演。これがレオタード姿でリボンを振り回す、『浅倉南、39歳。なんかイライラする!』というネタで、決勝進出を果たします。

ついにいとうあさこさんが、ブレークをしたのです。

まとめ

いとうあさこは、エリート銀行マンの父、名家出身の母、そして超名門校での教育を受けた、まさに「お嬢様」と呼ぶにふさわしい経歴の持ち主でした。しかし、そんな恵まれた環境にありながら、彼女は自らの意思で芸人の道を選択。現在では、その才能と努力が実を結び、高い収入を得るまでに至っています。

いとうあさこの人生は、生まれ持った環境に甘んじることなく、自分の夢を追いかける勇気の大切さを教えてくれます。彼女の成功は、背景よりも個人の情熱と努力が重要であることを示す良い例と言えるでしょう。

これからも、笑いの世界で独自の地位を築き続けるいとうあさこの活躍から目が離せません。彼女の今後の展開に、ますます期待が高まります。

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